今が悪いことも、最悪の中に居ても、万事塞翁が馬(ばんじさいおうがうま:何が幸いと転ずるか未知)。読者が豆電球の光にも感謝をしたく成れたのは、それは暗い中だったからこそです。それは神様の視点では、人としての真の勝利者に通じる気付きなのです。今、直ぐに安心しましょう。すべては完璧に機能しています。今日も自分の良心に沿って、「どんな環境の中でも」生活を楽しみ感謝しましょう。これがコノ世を克服した人と成るのです。その人が真の勝利者です。コノ世での成功は関係ないのです。

「小さな」豆電球
2016-08-05 11:01:57 | Weblog
(読者)
朝刊配達時というのは、真っ暗闇の庭にたった1つの豆電球程の灯りしか灯っていなくても、足下がとてもよく分かるのを見て、
* 人は心が暗闇の時、
* たとえ豆電球程度の光でも、
感謝が出来る事や、幸せだと思える光をいかに探す事が大事か?
それが、どれだけ明るく心の闇を照らすのか?
などなど、色々思う時があります。

(感想)
* 真っ暗闇の中では、小さな豆電球1つでも、足元がよく見えること。
小さな豆電球でも、とても有り難く思えること。

* 人は心が暗闇の中にいる時こそ、凄く苦労している時ほど、小さな感謝するべきこと、小さな有り難いことにも逆に気付けるのではないか?気付くべきではないだろうか?

という、とても大切な「気付き」を読者は示唆しています。
飢えた国の人は、わずかな食料を提供されるだけで笑顔が出ることでしょう。
飽食の日本では、食事を見ても笑顔が出る人は少ないかも知れません。

* 有ってアタリマエとは、物事の本質にカバーを掛けて行くようです。

これは何にでも言えることです。
口うるさい家族が今日も居るのは、アタリマエ。
でも、死別すれば、寂しくもあり、自分が何かを後悔するかも知れません。

今日も歩けること、目が見えること。これをアタリマエにしてしまい、不摂生でも気にしないで居ること。
でも、明日もアタリマエに機能してくれる保証は誰にもありません。
この機能を無くしかけた時、または回復する時、人はアタリマエにしていた肉体の機能にも心から感謝をするのかも知れません。

自分はバイトしか出来無い人間だからダメだ。
あの人は、正社員だから良い。
自分は貧乏だからダメだ。
あの人は、金持ちだから偉い。
自分は独身だから、子供もいないから、ダメだ。あの人は持ってるから良い。

人間の悩みとは、すべて比較心(自我の産物)から苦しみが生まれるようです。
日本が嫌いな日本人も、比較心の苦労から反発が発生したのかも知れません。
人間が、大きい・小さい、有る・無しという比較心から解放された時、物事の本質・真理が見え出すと感じます。

神様の視点には、人間が思うような比較心がまったくありません。
大きい、小さいで人を観ませんし、人を分けないし、比較は眼中にもありません。それよりも、

* 生かされている原点への感謝の有無。

で人を分けます。

今の自分がアタリマエにしてしまっている物事に、気付けて感謝が出来る人ほど幸運を無くしません。
小さなアタリマエも見逃さずに、感謝が出来る人は、自然と色々なモノが与えられて行きます。


今の自分がどんな環境であっても、それでも、その中で生きることが出来る原点への感謝に気付けた人に、成長と改善が起こります。

逆に言えば、今が悪いことも、最悪の中に居ても、万事塞翁が馬(ばんじさいおうがうま:何が幸いと転ずるか未知)。
読者が豆電球の光にも感謝をしたく成れたのは、それは暗い中だったからこそです。
それは神様の視点では、人としての真の勝利者に通じる気付きなのです。

職業の貴賎で神様は評価しませんし、逆に贅沢なアタリマエが多い人ほど、原点への感謝を忘れて神様から離れ、物事の本質・神を否定するかも知れません。
その人はコノ世では勝利者でも、アノ世では敗者と成ります。

アノ世の敗者は、コノ世の10倍の苦しみです。トータルでは、転生のやり直しとなり、今生での自分の所業の反射を受け取ることに成ります。

今、直ぐに安心しましょう。
すべては完璧に機能しています。
今日も自分の良心に沿って、「どんな環境の中でも」生活を楽しみ感謝しましょう。
これがコノ世を克服した人と成るのです。その人が真の勝利者です。コノ世での成功は関係ないのです。


(伊勢白山道)


まずは自分の呼吸を整えて、安心を心掛けながら、目の前の仕事に没入しましょう。 これが深まれば、生命が持つ時間が止まる方向に向かい、永遠の心の若さを「思い出す」ことが始まります。

「息抜き」の動向を静観します
2016-06-30 10:58:51 | 自然現象

(日本気象協会のデータより http://www.tenki.jp/bousai/earthquake/entries

最近に気になる地震が有りました。
それは、日本海側で地震が起こり始めていることです。これは、
* ハワイ⇒伊豆諸島⇒富士山

という地下深奥のマグマの流れが、
* 長野県を経由して、
* 日本海に、日本海の先の火山へと、
抜けようとしていると感じます。



従って、直近はまず長野県と周辺地域を防災意識を持って静観します。つまり、
* 富士山の動向も、無難に息抜きがされる可能性「も」有ります。

大自然の火山も、人間も、井戸も、「息抜き」が大切に思います。
だから大切なことは、
* 自分の息抜きは何か?

これが分からない、何をすれば良いのか分からない、という人が現代に多いと感じます。
息抜きの有無と何が息抜きか? で、その人生も変わって行くと思います。運命が変わるのです。

その自分の息抜きが、不倫の性交や、薬物や、家族への虐待、大金が必要なモノでは生けないのです。
これは悪い息抜きであり、自分の魂も・健康も・寿命も抜いて行くことに成ります。


やはり良い息抜きを持つこと、見つけることが自分の人生を分けます。
出来れば、日常に有るもので、身近で、無料で、簡単なことで息抜きが出来る人は、幸福な人です。
人生の達人かも知れません。


過去に見性(けんしょう:コノ世の輝く実相を観抜いた人)をした人々は、
* 座っているだけでも、息をするだけでも、
コノ世が絶対的な歓喜・祝福・プレゼント、で満たされていることに感動して打ち震え、淡々とした微笑みを持ちます。


まずは自分の呼吸を整えて、安心を心掛けながら、目の前の仕事に没入しましょう。
これが深まれば、生命が持つ時間が止まる方向に向かい、永遠の心の若さを「思い出す」ことが始まります。

悪い息抜きは、生命の時間が加速し、見掛けも本当に醜く変化が始まります。
これが隠せない、露見する時節が既に始まっています。
まずは、自分の生活・仕事が良い息抜きに成ることを目指しましょう。

これが実現すれば、働くほどに金が貯まり、若返りもします。
地獄のような仕事であっても、それを天国にするのも、息抜きにするのも、自分次第です。

どんな中であっても、自分の息抜きを大切にしましょう、見つけましょう。
逆に言えば、地獄の中でも息抜きが出来た人は、最短で見性・悟る可能性も有ります。


(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 21:48日記

自分自身を、最初は肉体の頭の斜め上方向から静観・観察します。

本当の真理は生活動作・動きの中にこそ無料で在ります
2016-06-22 10:51:48 | Weblog

通勤中や、会社でも、家庭でも、学校でも、他人と触れ合う場所では、
* 怒りに巻かれる人
* 心配事で心ここに在らずの人
* 悲しみに包まれている人
* 異性や子供の問題で苦しむ人
を見掛けます。


自分がこのような心境の最中は、どうすれば良いのでしょうか?
こういう時は、
* 内在神(良心・本当の自分・真我)からの視点で、そういう自分自身を静観すること。
を参考にしてください。


* 自分が何かのことで怒っている時は、
その怒っている自分自身を、最初は肉体の頭の斜め上方向から静観・観察します。自分に対して、
「うわあ、怒ってる、怒ってる」「おお、怒ってるな〜」
と静観・観察します。

* 自分が悲しんでいる時は、
「自分が悲しんでいるな」
と静かに静観します。

* 自分が心配している最中は、
その心配中の自分を静観します。
「自分が心配している」「それで注意力散漫になっている」「運転や歩く時も注意すべき」
と自分を冷静に静観します。


以上のように、喜怒哀楽の最中の自分を静観・観察する意識が持てますと、ここで大切なことが有ります。
自分自身を静観中・観察中でありましても、その喜怒哀楽をしている・ing自分とは、

* それは、本当の自分のなのか?
* それが自分なのか?
* それは、誰か?
ということを意識の基本に持ちながら静観・観察します。


これが継続しますと、
* それ、は本当の自分では無い。一時的な自分だ。
* 本当の自分は、そんなことを思いたくは無い。
* 本当の私は、そんな人間では無い。


ということが誰でも分かり出します。この時に、
* もしその怒りが憑依によるものならば、その霊や生霊は「あっバレたな」と去り始めます。
これは、自分で自分自身をサニワ(冷静に霊的判断すること・祓い)することに成ります。

* それが自分の自我(ワレヨシの気持ち)からの喜怒哀楽ならば、自分を静観することで、
冷静に成れます。自分で冷静に戻れます。
相手の立場や事情も思いやることが出来るようになり始めます、見え出します。

以上のことは、仕事中や、移動中や、「動作の中で」することが出来ます。これが重要なのです。
動作の中ですることに、意味が有ります。


瞑想のように、わざわざ座ったり、時間を設ける、ことには逆に弊害が有ります。
生活中の「動作」の中でするからこそ、
* 祓い
* 余計な思考の削ぎ落とし
が可能に成ります。

実は、ロシアの神秘家・グルジェフも、わざわざ難しい姿勢を取らせるダンスをさせる中で、自分を静観することで本当の自分に気付かせる試みに成功しています。

禅をする古今東西の無数の著名人の中で、唯一の本物・見性した人物として私が認めるのは永平寺の道元さんだけです。
道元さんは、禅を組む以上に、作務という日常生活の労働を重視し、弟子たちにも街の人々の前に立つことが大事だと厳命されていました
やはり、真理を観れば、そうなるのです。

わざわざ座らせるのに集金したり、外国の意味不明な呪文をもったいぶって高額で売り付ける有料先生などは、本当の真理からもっとも遠い真逆の行為を広めています。それは有料先生が遊ぶための色欲の金にしか成りません。

本当の禅も、瞑想も、
* 日常生活の「動作」・「行為」の中にこそ本当の世界が在るのです。
わざわざ隔離した、静止した、瞑想などムダです。魔境にしか繋がりません。

今日も、生活の中で自分を静観しながら、明るく動きましょう。
とにかく、動け!働け!なのです。
これが真理に最も近道です。


(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 11:47日記

コノ世の霊的真相は、 * 「誰も見ていない」のが真実です。 すべては、自分一人だけが実在して喜怒哀楽をしています。 釈尊は、これを「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)と表現されています。

誰も見ていない。という真実
2016-06-18 10:35:32 | Weblog
過去記事「エチケットを知っていることが運命を分けます」を読まれた複数の読者から、
「自分は生活が苦しくて、生きるだけしか出来無い。
だから国の為に何も出来無いからダメだ」
という感想がありました。

これを見まして思いますことは、やはり霊的な真意が伝わっていない、ということです。
* 何か具体的に大きなことをすることが、見せることが、国の為だと勘違いをしていないか?
* それは、国の為うんぬんの話では無くて、ただ他人との比較意識に負けていないか?
* 自分の思いの力が、国を助けることを信じていない、信じられないだけのこと。
を思います。

ここで話が変わりますが、霊的世界を理解するためには必須のセンス・知って置くべき基礎事項が有るのです。
それは、コノ世とアノ世では、物事の距離感・大きさ・時間感覚がまったく基準が変化してしまうために、惑わされること・理解出来ないこと・勘違いすることが多々あるのです。

私がよく言います例では、
* コノ世では短い伊雑宮の数十mの参道は、アノ世では数kmもある。
* 神棚に捧げる小さな水容器の水量は、アノ世では琵琶湖のような湖に成っている。
* 線香の小さな火は、アノ世では火山火口の大きさである。
などなどです。

つまり、コノ世に住んでいる私達は、意識の奥では何でも他人や物と「比較」しては、良い悪い、出来る出来無い、と思い込んで喜怒哀楽をしているだけなのです。
これは、霊的実態から見れば完全な間違いなのです。一切関係ないのです。

生活が苦しい中でも、その中で、神様に感謝すること、国が有ることに感謝すること(海外に行けば、日本のパスポートの有り難さを思い知ります)。
一人ひとりのこの思いが、社会を助ける、国の為になる、種火(点火するために常にともしておく小さな火のこと)をおこして行くことに「何かの機会に」そう成るのです。

全体のことを思える人は、必ず自分自身も全てが変わって行きます。
全体を思える、感謝できる人、は既に小さな経営者であるのです。

そして、記事の最初にあります、
「自分は生活が苦しくて、生きるだけしか出来無い。
だから国の為に何も出来無いからダメだ」
という意識は、他人から見る・見られる、という思いに支配されていないか?に注意です。

コノ世の霊的真相は、
* 「誰も見ていない」のが真実です。
すべては、自分一人だけが実在して喜怒哀楽をしています。
釈尊は、これを「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)と表現されています。

ではまわりに見える他人は何か?という疑問は、
* 別の1つの宇宙であり、自分も1つの宇宙。
* 更には、この全体で1つの宇宙・細胞である。


ここで理解が難しいことでしょう。だから、知って置いて欲しいことは、
* すべては自分の中でのことだった。
という触り(さわり;話の要点)への理解なのです。


今日も、自分自身を納得させるように生きて見ましょう。
誰もが自分の宇宙を完成させる為に生まれています。
その環境が貧乏だとか、裕福とか、まったく比較は関係ないし、言い訳にもアノ世では成らないのです。

(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 22:01日記

* コノ世の嫌なことは放って置きなさい。 * 嫌なことに対して、妄想など絶対するな! * とにかく何でも良いから、すべての嫌な妄想を捨てなさい、止めなさい。 * その妄想の善悪などは、真偽などは、何でもエエんや!関係ないんや。 という感じです。

自分の妄想をアンパ~~ンチ!すること
2016-06-13 10:58:43 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編

コノ世のモノの一切が幻想であることを深く自分で理解しており、

そして、他人や社会への無知から来る被害妄想・思い込みから遠く離れることが出来た人。

なおかつ、

人生を捨てるように生き急がない人。

人生をムダに怠惰に過ごさない人。

このような人は、コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。

それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.13)

(感想)
今の社会でも、色々な被害妄想に駆られて悩む人が後を絶ちません。その中でも、
* 自分の悪口を言われている。自分は嫌われている。
と自分自身で思い込んで悩むことや妄想パターンが、1番多いかも知れません。

他人とは、無責任に何でも言うものです。そして、言ったことの自覚も無しに、直ぐに忘れて行きます。でも、悪口を言われた人間は忘れません。
しかも、言う側の人のストレスから他人の悪口を言っているだけであり、悪口を言われる人の問題では無いケースも多いと思います。

しかし問題なのは、悪口を言われた側の人間は、言われたことを決して忘れないことです。
毎日のように、日に何度も言われた事を思い出すものです。
つまり、初めに悪口を言った人間は忘れている。
言われた側の人間は、毎日思い出す。
このズレがあるために、その後の関係修復が難しく成って行くものです。

言われた側の人間は毎日思い出しますから、しまいには「毎日悪口を言われている」という被害妄想が内面で発生する人がいます。
しかし現実には、悪口を言った人間はとっくに忘れており、その後に悪口は言っていないことが多いのです。
このズレと勘違いが、大きな悲劇を起こす場合も社会では有るかも知れません。

言えますことは、
* その悪口の真偽・事実関係などに執着しては生けません。
* 問題なのは、自分が言われた被害者であっても、自分の心を毎日傷つけているのは自分自身なのです。
* 他人の悪口を、自分の心(内在神)にまで「届かせてしまっている」のは自分自身なのです。

だから大切なことは、
* 他人からの悪口を、自分の心にまで響かせては生けません。
霊的には、その悪口の善悪・真偽などは重要ではありません。それを、自分の本心(内在神)にまで届けることは、献上することは、捧げることは、内在神に無礼なことに成ります。

ここで思い出しますのは、江戸期の神人と評された黒住宗忠(くろずみ むねただ:天照太御神への熱愛1本やりで覚醒し、後年に皇室から神社の御祭神として人物が認可されるほどの神ワザを困る人々を助けるために発揮した神主)さんのことです。

神主の毎日の勤めとして、早朝に沢山の御宮を参拝して回る時に、近道をしたいが為に崩れかかった橋を敢えて使用し、渡り終えた際に自分の「心」が非常にドキドキとしました。
この時に自分の心に内在する神様を危険にさらした大罪に気付き、その場に黒住さんは泣き崩れました。私はこのエピソードが好きです。

それほど、誰の心にも内在する神様を大切にするべきなのが霊的な真実なのです。
近代インドの最高の聖者・ラマナ・マハルシも、誰の右胸(中央から右側3cm)にも宇宙の最高神が宿っており、それを貶めるのも、最高神にするのも、今に生きている人間の心がけ次第だと断言しています。
人類に共通する真理なのです。

* だから他人の悪口ごときを、自分の心に響かせては生けないのです。
* 自分の本心(良心・内在神)に対して非常に失礼です。
自分の良心(内在神)を大切に育てる人間が、コノ世でも幸運を与えられます。心身・環境ともに自由に成れます。
アノ世では更に良い世界に導かれます。

ここで釈尊の言葉に戻りますが、今日の話で大切なことは、
* コノ世の嫌なことは放って置きなさい。
* 嫌なことに対して、妄想など絶対するな!
* とにかく何でも良いから、すべての嫌な妄想を捨てなさい、止めなさい。
* その妄想の善悪などは、真偽などは、何でもエエんや!関係ないんや。


という感じです。
今日も現実の会話・行為・行動だけを直視して、一切の妄想を停止することです。
そして、自分の良心を大切に大切に守りましょう。
この継続は、自分の心身を変えて行きます。

(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 16:33日記

人は無理やりに安心しようとしてもダメなものです。 やはり、自分の良心(内在神)に背く点が有りますと、安心することは不可能なのです。 逆に言えば、どんなダメな状態に自分が在りましても、 * 自分の良心に対して一切の曇りが無い人は、必ず安心が出来ます。

悪人正機(あくにんしょうき)。どんな悪人も真に後悔して泣けば救われます。
2016-03-13 11:12:52 | 釈尊の言葉 Ⅰ
コノ世の色々なハンディを抱えながら、
困難な道を渡り、
繰り返す輪廻転生(死後)や物事へ心配する気持ちを乗り越えて、

冷静に物事を静観し、激昂すること無く、自分に怪しい行動が無く、何事にも執着せずに、
その上で安心している人。

そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。


(原始仏典 ダンマパダ26章-414)

(感想)
この項を読みますと、2500年も前の人々もまさに、
* 色々なハンディを抱えながら、
* 険しい人生を歩き、
* 生まれ変わりや、死後の状態、霊や見えない事を心配する。
このような生活を送っていたのです。
今の多くの人々とまったく同じなのです。

そのもろもろの上でも、
* 最終的には安心しながら生活する人が、最高の人間だ。
と釈尊は示します。

何が有ろうとも、子供がグレても、仕事がダメでも、それでも心から安心して生活をする人が、コノ世の真の勝利者だと言えそうです。
自分が出来る最高の努力を本当に尽くし切ったならば、自分の良心(内在神)が許せばどんな状態でも安心は来ます。
お金持ちでも、常に心配しながら生活をする人が多いです。これではダメなのです。

どんな苦境でも、すべてがコノ世だけでの状態なのです。必ず過ぎて終わって行きます。
アノ世で自分が死後の状態を体験しますと、コノ世での苦しく、嫌な物事、理不尽な災難、・・・・そのすべてが意味と価値の有ることだったことを誰もが理解します。

そして、コノ世での自分の人生を冷静に振り返りますと、
* まだまだ自分は頑張るべきだったのかも知れない。
* アノ時に素直に謝っておくべきだった。
* もっと感謝をしておけば良かったな。

と誰もが思うことを私は確信しています。

私も毎回の人生で必ず思って来たことだからです。
何とも言えない「申し訳なさ」に、泣く魂が大半です。
自ら地獄に行く魂は、まだまだ素直には泣けない魂でもあります。
心が素直に泣けた時が、天から許される時でもあります。

人は無理やりに安心しようとしてもダメなものです。
やはり、自分の良心(内在神)に背く点が有りますと、安心することは不可能なのです。
逆に言えば、どんなダメな状態に自分が在りましても、
* 自分の良心に対して一切の曇りが無い人は、必ず安心が出来ます。


コノ世には多くの他人がいますが、本当の真実の真相は、
* 自分の心と、良心(内在神)との、1対1の真剣勝負を誰もがしているのが答えです。
すべての見える他人も環境も条件も、真実は自分自身の反射で、自業自得で出現するスクリーン映像なのです。


ここでも釈尊の「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)が言えます。
誰もが自分一人の中での勝負をしています。
残りの人生を、本当の自分自身(良心・内在神・真我)と向き合って生きましょう。

コノ世に居る時に、本当の自分(良心)と向き合う・ing人は、コノ世でどんな状態であっても必ず天国に行きます。
親鸞さんが、南無阿弥陀仏と唱え続ければ100%浄土・天国に行くと言われた真相は、
* 心を向け「続ける」から行ける
という真理からです。この方便も、霊的には正しい真実なのです。

今日も、本当の自分(良心)を見詰めながら、安心を心掛けて生活を致しましょう。
必ず、すべてが変わって行きます。

(伊勢白山道)

後ろめたいことがあると安心できない。
確かに、それは真理かもしれない。

ちょっとしたことで
崩れた時にグズグズグズっとなってしまう危険性
をはらんでいる。

立て直すということができないのだ。

逆に後ろめたいことがないと
右往左往していても
最終的には
安心に落ち着くようになっているようだ。
posted by 伊勢白山道ファン at 17:27日記

心中では絶対に怒らない・怒りを持たない修行を今日から心掛けて見ましょう。

心中までは怒りを絶対に持たないことが必須条件
2016-05-04 11:08:40 | 釈尊の言葉 Ⅱ
心の内に、どんなことにも怒りを持たないことが、

コノ世でもアノ世でも実行できた人(魂)が、

コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。

それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.6)

(感想)
この項は、言語を訳すだけの仏教学者と、霊的世界が分かる人とでは、翻訳・解釈が変わることでしょう。
2行目の、
「コノ世でもアノ世でも実行できた人(魂)が、」
ここが大きく変わると思います。

釈尊の視点は、人の幾つもの転生を観た上での発言が前提なのです。
だから、魂の転生の流れが分からない、転生が半信半疑の人が、言語的に翻訳するのは無理が生じます。
この項は、霊界の真相と転生について、非常に重要な指摘が釈尊により成されています。つまり、

* 外面だけ怒らないだけではダメなのです。
* 心の内でも、どんなことにも怒りを持たないことが、転生(生まれ変わり)を止めるのです。


更には2行目で、
* アノ世でも、自分の魂が怒らないことが、転生を止めるための条件なのです。
* コノ世とアノ世の両方の世界で、自分の魂が心内に怒りを持たないことを実践出来てこそ、輪廻(りんね:繰り返し生まれ変わること)は止まる。

ということです。

コノ世では、他人に対して実際に怒らないだけでも、なかなかの修行です。
更には、心の中でも、他人を罵倒したり怒ってはダメなのです。

しかし、これだけではまだダメなのです。
アノ世でも怒りを持たない心境を実現した魂に成ることが条件なのです。
しかも1回のコノ世とアノ世の往復で実現しても、まだダメなのです。

何回もの輪廻転生(りんねてんしょう:生まれ変わり)において、コノ世でもアノ世でも絶対に心中でも外面でも怒りを持たない心境を実現してこそ、初めて転生が停止する可能性に成れるということです。
非常に気が遠くなるような繰り返す人生の旅が、解脱(げだつ:転生を外れること)には必要なのです。

アノ世でも怒りを持つ迷いの魂はいます。地獄では、怒れる魂ばかりが引き合い、お互いに罵倒と殺し合いを永遠に繰り返しています。
せっかく霊界に居る魂でも、子孫の行状(犯罪・不倫・他人への迷惑、・・・・)を観て怒り、下方の世界に落ちる先祖もいます。この場合、「何回かは」生きる子孫への・他人への、実践的な懲罰の干渉を働きます。

ある先祖は子孫の為の確信犯となり、霊界から落ちます。
そして、コノ世に干渉した罪により補足されて、下方世界に幽閉されます。
これを救い出すのが、正しく感謝の供養をする子孫からの先祖供養です。

でも、コノ世では逆に言えば、相手の為を思えば、外面では危険を防止するために他人を怒ることも必要です。
愛情が有れば、外面では怒っても良いです。しかし、

* どんな条件・場面の時でも、心の中には絶対に怒りを持たないことが大切なのです。


家族の為には、怒ることも必要ですが、心中では絶対に怒らない・怒りを持たない修行を今日から心掛けて見ましょう。
これが自分自身の次の転生条件を改善させ、更には転生を外れて永遠の幸福感の海へと自分の心を誘導させる可能性が有るということです。

先ず、今日1日だけでも「心中では」絶対に怒りと不満を持たない挑戦をして見ましょう。


(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 17:25日記

慌てずに「時間経過を見る」ことも、コノ世を生きる為の知恵であることを知って置いてください。

コノ世は、時間経過を見るべき時がある
2016-05-07 11:28:03 | Weblog
多くの方々の悩みを観ていてよく思いますことは、
「コノ世は時間経過を見ないと生けない時が誰にでも有る」
「その時間の経過を、体験するのも大切な昇華の機会」
「時間の経過なくして、明日は無い」
ということです。

人の悩みを突き詰めますと、
* 要は、嫌な時間・体験を自分が経験したく無い。持ちたく無い。スルーしたい。
ということに成ると思います。

だから先行きを知ろうとして、逃げ道を探して、未来を何とか知ろうとして悩んでいます。
その自分の悩みの正体は、「未来を知りたい病」だということに気付いて欲しいのです。例では、

* 結婚できるか知りたい。
* その受験に受かるか知りたい。
* 就職できるのか知りたい。
* 子供の未来が心配。
* 老後が心配。
* 会社の経営が心配

などのように、その悩みを突き詰めれば「未来を知りたい悩み」ということなのです。
色んな悩みが今に有るのでしょうが、言い方を変えますと、
* 自分は、まだ来ない未来を知ろうとして悩んでいるに過ぎない。
という言い方に変えますと、何かの気付きが起こることでしょう。

では、占いで、「~~こうなるでしょう」と言われて安心が出来るのでしょうか?
安心など出来るはずがありません。
その未来を知ろうとして悩んでいる時間は、本当は
* その悩みへの努力をするべき時間なのです。
この大切な時を捨てていては、その悩みの結果を悪化させている時間を自分は持っているに過ぎません。

そして、コノ世の正体であります、
「未来は白紙である」
「多くの過去からの因果の集積が今であり、今も、新たな因果を作成中・ingである」
ことを忘れないで欲しいのです。だから、

* 未来を知ろうとして悩むこと自体が、時間を無駄にして経験・努力を今に捨てている最中であること。
* 自分で未来を悪化させていること。
* 悩む暇があったら働け、は真理であること。
そして、
* コノ世は、努力をした上で、その時間経過を見るべき・体験するのが人生であること。

つまり、その悩みこそは、大切な人生そのものだったのです。
これを避けようとするから・逃げようと思うから悩んで、自分の人生の運気を落としているのが真相です。

誰にでも悩み(未来への心配)が有るものです。
自分なりの最善を尽くしていれば、あとは時間経過を見てやりましょう。
* 努力の上での「お任せ」が最善です。

慌てずに「時間経過を見る」ことも、コノ世を生きる為の知恵であることを知って置いてください。
どんな未来も必ず変わります。


(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 17:23日記

何が有っても心中が安静なままを維持すること。 何も考えない無思考を実現させた者は、輪廻を終了させる。

無思考は最強伝説
2016-05-13 11:06:32 | 釈尊の言葉 Ⅱ
ああだ、こうだ、と湧き上がる自分の思考を完全に停止させて、

何が有っても心中が安静なままを維持すること。

何も考えない無思考を実現させた者は、

コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。

それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.7)

(感想)
人間は黙っていましても、心中では色々な独り言を発しています。
それはもう絶え間なくて、怒りの独り言であったり、誰かを罵倒する独り言、異性と性交する妄想、物欲の妄想、食欲の計画の声、自分が何かを心配する声、・・・・それはもう人様々な心の声を発しているものです。
満員電車では誰もが無言でありましても、心中の声が充満しているものです。

この心中の独り言は、精神が病んで自制が効かなく成った人は、最初はブツブツと口で言い始め、これが酷くなりますと他人に聞こえるように独り言を発声するようにもなってしまいます。
人間は、自分の心中の声を自制することを意識しなければ、心の弱さに比例して独り言を暴走させてしまうことも有ります。

暴走する独り言とは、非常に厄介なものです。
この独り言が、他人を実際に傷付ける命令を発するということも有り得るのです。
そして実際に実行してしまいますと、それが因果・原因となり、それを償うための転生が強制されます。いつまで経っても、転生(てんしょう:生まれ変わり)が終わることがありません。

また別の意味でも、
心中での独り言=意識の力の漏電中=霊体の弱体化=病気や運気の低下
という関係が言えます。


赤子は心中での独り言が無い存在です。だから生命力が溢れています。
それが成長に伴って、自我(ワレヨシな心)の発生と共に心の声を生じ始めます。
だから大人でありましても、

* 何も考えない練習
* 思考を止める練習
* 目の前の物事に集中する

これを気付けば繰り返して行きますと、病気が改善したり、運気が増すことが起こり始めます。

ロシアの神秘家・グルジェフは、更に興味深い発言を残しており、
* 無思考=時間を止める
とも、野ウサギ猟師の例を出して述べています。(過去記事「どんな仕事でも覚醒へ到る」)

* 自我(ワレヨシな心)の増大=生命力の時間経過を促進させる=老化が進む=色々な因果の束縛を受けて、コノ世で思い通りに成らない。

* 無思考=生命としての時間経過を緩やかにさせる=心身が若い=コノ世で現実に自分の希望を何でも操作が可能に成り始める。

つまり、人間の無思考とは、ロボットでは無くて「カンナガラ」(神人一体の境地)をコノ世で実現させます。
更に釈尊は、
* 無思考=解脱(げだつ:繰り返し生まれ直す「強制の」転生を止める)
という魂の最終ゴールをこの項で示唆されています。

誰もが生活の中で、目的や悩みへの用意周到な「努力」とシミュレーション(想定)をしたならば、
* その上で、無思考を心がけること。
* 心中の声を暴走させないこと。
を知って置いてください。
これは、その人の人生を今からでも変えて行きます。


※ 今日は13日の奇数の金曜日。防災意識と防犯に注意して静観。
気温が高く成る=地磁気の通電量が増す=地震に注意です。

(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 17:20日記

コノ世の大半の人は、 * 自分が過去生でしたことの、逆の立場を経験する為に コノ世に強制的に生まれ落ちているのが真相です。

新規の今を頑張ることが、来生も創造中・ingなのです
2016-05-20 11:05:40 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
人生を捨てるように生き急がないこと。

または、人生をムダに怠惰に過ごさないこと。

このように、すべての転生(てんせい:生まれ変わり・人生)を「中道」(ちゅうどう・真ん中)に生きた人は、

コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。

それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。


(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.8)

(感想)
若い頃は、「俺の人生なんて」という感じで、バイクで危険な走りを繰り返したり。
「私なんて居ても居なくても一緒」という感じで、喫煙もしながらムダに堕胎を繰り返したり。
このように貴重な人生を「捨てるように生き急ぐ」こと。
老人でも、「早く死にたい」と日々の貴重な人生時間を捨てていること。

または、何もせずに文句と不満ばかり思いながら、家族に寄生したゲーム三昧の生活をすること。
仕事もせずに、パチンコや賭け事ばかりして遊んで暮らすこと。

この項で釈尊は、
「人生を過ごす気持ちは、早すぎても、遅すぎてもダメだ」
と仰っています。
人生を生き急がず、また怠惰にして遅れもせず、ほどほどの良いバランス感覚で生きるべきだとします。

ただ、一回の人生だけを中道(ほどほどなバランス)で生きましても、転生(生まれ変わり)は終わらないのです。
何回も何回も生まれ直しましても、中道で生きる人生を成し遂げた人が、コノ世に「強制的に生まれ出ること」を止めることが可能に成るのです。

コノ世の大半の人は、
* 自分が過去生でしたことの、逆の立場を経験する為に
コノ世に強制的に生まれ落ちているのが真相です。
宇宙が動く因果の法則とは、今も完璧に起動しています。


だから、コノ世で自分が経験する全てに、
* 一切のムダが無いこと
* 偶然は無い、こと
を知って置いてください。これを深く理解したならば、思い知ったならば、
* その人の人生の生き方が変わります。


ムダに怒ることも、心配することも、無くなって行くのです。
すべては、良いことも、悪いことも、
* 自分の過去生の逆の立場を経験する為に、出現してくれている。
のが宇宙の真相なのです。


別に自分が悪い、あの人が悪い、も関係無いのです。
今生も「新規で」悪事を行えば、それが原因(因果)となり、来生も強制的に「どこかの世界に」生まれ落ちて、自分が「逆の立場」を経験することに完璧に成るのです。
自分が今生で善行をすれば、もし転生すればそれを今度は「自分が受け取ることに」100%成ります。

だからコノ世で異常な幸運に恵まれる人は、それは偶然では無く、過去生の自分がしたことを「受け取っているだけ」のことなのです。
問題は、新規で今も、
* 死後の自分の行くべき環境
* 来生の自分が受け取る「条件」
を誰もが創造中であることを忘れては生けません。


* 過去生ばかりを気にしてもムダであり、今も来生の「条件」を構築中・ingであることを忘れないでください。

今の生活が豪華で優雅な人も、来生は貧乏で苦しい人生を「自分で」設定中・ingの「生き方」をする嫌味な金持ちが今の日本には多いです。
それは本当は気の毒な人です。
感謝の気持ち、思いやり、愛情、の無い金持ちは、来生で逆の立場を構築中・ingの人に過ぎません。

だから、安心してください。
* 嫌な他人を見ても、影響を受ける必要はありません。
* うらやましい他人を見ても、自分が落ち込むことは不要です。
すべては、人生の転生(生まれ変わり)をまたいだ「完璧な自業自得」が流れているだけなのです。
今日も新規の今を来生を、創造して生きましょう。


(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 17:18日記

ダメな時は、ダメな役を思いっ切り演じ切りましょう

舞台では最後まで懸命に演じ切ること
2016-06-03 10:37:46 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編

コノ世のモノの一切が幻想であることを深く自分で理解しており、

その中で、他人を押し退けてでもという自我(ワレヨシの心)から離れている人。

なおかつ、

人生を捨てるように生き急がない人。

人生をムダに怠惰に過ごさない人。

このような人は、コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。

それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.10)

(感想)
ある悩みで自殺をしてしまう人とは、映画を鑑賞しましても、その映画の中に入り込んでしまう人かも知れません。
ハラハラ、ドキドキ、と真剣に映画の中に入り込んで自分も疑似体験をしやすい人だとも言えそうです。
特に子供などは、TVアニメを微動だにしないで見ているものです。

でも、冷静な大人は、それは映画だから、アニメだから、と冷静に見ることが可能です。
釈尊は、このリアルな人生でさえも、
* どんな人生も、自分の因果が放射して映し出す映像なんだよ。
* しかも、大勢の他人と同時に同じ映像を見ることが可能な幻想なんだよ。(まさに映画館)
としています。

更には、その作られた映像・幻想を見せられて、どんな窮地やワナ・誘惑を受けましても、
* 他人を押し退けてでも、という自我の欲望に負けない人
であるべきだとします。

では、しょせんは作られた映画であるのがコノ世の真相ならば、もう真面目に生きることや、努力することもアホらしい。
・・・・これでは釈尊はダメだと仰っています。

* コノ世が映画(幻想)であると認識をしながら、それでも真面目に、懸命に生きることが大事。

これをすることが強制的で「嫌な苦しい」転生(てんしょう:生まれ変わり)を止める、と示されています。
何ということでしょうか、たとえ映画の映像の中に自分が居ると分かっていましても、
* 一生懸命に生きなさい
* 真面目に最後まで演じ切りなさい
ということです。


母親ならば、母親の役が嫌に成りましても、コノ世の幻想(誘惑)にダマサれずに最後まで演じ切りなさい。
サラリーマンならば、コノ世が幻想だとしても、最後まで懸命に右往左往しながら勤め切りなさい。
学生ならば、勉強などアホらしく思えても、それもゲーム(幻想)の中のルールだから、卒業するまで思いっ切り勉強しない。

そうした先に、幻想の中でもやり遂げた先に、初めて分かる新たな境地が有るということです。
コノ世はやはり、「ヤッたら、ヤラれる」という遠い過去からの因果が、完璧に創りだす・映し出す舞台(幻想)の中に、全員が役者として誕生しています。

同じ舞台(コノ世)に立つ者同士は、ほんとうは憎しみ合うことは無いはずな訳です。
でも私達は、舞台こそ全て、公演が終わって幕が閉じた先(死後)は無いと思い込んで、必死に悩み苦しんでいます。

映画(コノ世)の中に入り込みすぎて、自殺などしては生けません。
そうでは無くて、
* ダメな時は、ダメな役を思いっ切り演じ切りましょう

自分の演技(生活行動)を冷静に見ながら、幕が閉じるまで(寿命)頑張って生きれば、それが最高の舞台と成ります。
今日も自分の役を、良心に基づいて頑張りましょう。

(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 17:15日記

脱力して、頭を半分逆に沈めると浮く。

脱力して、頭を半分逆に沈めると浮く。そしてミロクの世へ
2016-06-02 10:17:51 | Weblog
川や海で溺れる人を助ける時、助けに行った人も溺れることが有るようです。
息が出来無い人の苦しさとは、異常な最後の力を振り絞り、救助人の背中や頭の上に乗ろうとするほどだそうです。
すると、救助人も顔を水面下に押さえ込まれて息が出来無いことに成ります。
やはり救助の訓練を受けた、浮き輪などの道具を持つ人しか難しいと思います。

私が思いますには、苦しさのあまり水面から頭を全部出そうとするから浮かないのです。
* 苦しい時は、逆に自ら頭の半分を水面に浸ける。
* 水が怖いから、水中で立とうとするから浮かない。
* 全身の力を抜いて、逆に水面で寝ようとすること。この時に耳まで水中に浸けること。


すると、鼻と口ぐらいは、水面から出ていると思います。
以上の様相は、社会での生き方の極意と共通すると感じます。

生きることや、生活が苦しい時は、そこから逃げることしか考えないものです。
そして、他人にしがみつく・頼る方法しか考えないものです。
こういう時に、悪徳な有料先生や他人のワナにも掛かりやすい時だと言えます。

その状況を本当に改善させる・脱出する極意は、
* その苦しい中から逃げたい一心を反省し、逆に半分は自ら留まってやろうと思うこと。
もう逃げることを止めます。
* 先が怖いから、逃げる・助かる方法ばかりに意識が向くから、現状を冷静に静観することを忘れています。


その中であっても、
* 自分が感謝するべきことを考える気持ちを持つこと。感謝すべきことに気付くこと。
* 自分が出来る最高の努力をしながら、冷静にその流れを静観すること。
* そして、その中であっても安心すること、冷静を心がける生活を繰り返すこと。


この継続が、いつのまにか自分の生活を変えています。
後で振り返れば、自分の生活が改善していることが分かります。

ところで、火星が最接近して明けてから感じていますことは、
* コノ世の霊的な段階が、一段上昇したこと。
* アノ世、上の次元とのコンタクトをする感度が上がっていること。

* 多くの人々が、過去の嫌なことや懸念を考えない、忘れて行きやすく成ったこと。切断されている・ingこと。(まだ気付いて無い人が多い)
を感じています。


私は楽になっています。
これから、嬉しい・楽しいミロクの世に向けて、このように段階を踏みながら世界は進んで行くと感じます。
この時に、日本は光が増し、世界を癒やし・助ける方向に向かいます。

近年の日本アニメの世界的な隆盛なども、ミロクの世への日本の役割・誘導の一端だと思います。
旧世界からの軋轢・テロ・紛争・天災も経験しながら、右往左往しながら、方向性は既に神界で確定していると言えます。
慌てずに、見てやろう、生きてやろう、頑張ってやろう、で行きましょう。

(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 17:13日記

* 深い思考をして置いてから、その後はもう考えない。

ここで思い出しますことは、ある格闘競技の分野の総裁と呼ばれた人が、物事を決める時は、
「パッとして、グーと来て、ドーンとするだけ」(昔にこんなアイドル曲がありましたね)
「考え過ぎなんだよ」
と発言していたことを思い出します。

私としては、あらゆる最悪想定をして置いてから、
* それを覚悟して置く。
* その後は、思考よりも、とにかく行動をして行く。
という生き方です。

* 深い思考をして置いてから、その後はもう考えない。
* 思考では無くて、物事の途中は「自分の行動」に判断させる。

ということを心掛けています。
え?行動・行為に判断させる? そんなことは可能なの?
と思われるかも知れません。

でも、霊的には自分の行動に思考させるのは可能です。
自分がした行為は霊的磁気を持つからです。
その磁気に行方を任せるのです。
無思考でありながら、自然と、なぜか最善を選択することが可能に成るのです。

ただし、自分が良心に基づいた正しい行動・努力をしている・ingことが必須条件です。
その行為の蓄積が、ナントナク最善を選択させて行くのです。
この意味でも、日本人が昔から家庭で毎日してきた、神棚のお世話、先祖供養とは非常に大切な生きた行為と言えます。

その意味からも、日本経済を支えていたのは、日本人の生活風習・道徳観だったのかも知れません。

今も色々な悩みを持つ人がおられます。
いくら考えても答えは見つからないものです。

だから先ず、自分が出来る行動・努力を淡々として見ましょう。
もう考えずに、自分の行動に判断をさせるのです。

後から振り返りますと、絵に描いたように最善を「知らずに」歩いていたと認識できることもあります。
思考で疲れた肩の力みを抜いて、自分の行動にお任せするというパターンも知って置いてください。

古神道では、最高の心境をカンナガラ状態と言います。
* 自動運転モードなのです。
* 神霊と一体化した状態は、もう悩まずにただ前に進んで行きます。


動く苦労をせずに、ただムダに流れて行く思考・悩みの繰り返しをするよりも、実際に動くことが必要な行動・行為に「自分自身を任せる」ことも人生の極意です。
自分の良心に沿った行動ならば、どんな結果でも善悪を超えて良い思い出に成ります。
自分の行動に責任を持たせて生きて見ましょう。

(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 18:15日記

どんな悪い物事でも、「流れる」限りは大丈夫です。こ

リーマンさんの記事から以下引用

「この世は、全てが振動している世界に私の霊眼では観えます。
つまり、動き続けて変化し続ける世界です。確定し固定化された世界では無いのです。だから逆に、物事が好転するのは簡単な事なのです。」


「この様な沸き起こる感情は、情熱の発散として起こるままに「流して」生きます。ここで大切なのは、思いを「貯め無い」ことです。

嫌な思いの磁気は、切断しなければ生けません。その方法が、感謝の神祭りや依り代による先祖供養なのです。

どんな悪い物事でも、「流れる」限りは大丈夫です。これは、思考の話だけでは無く、この世のあらゆる森羅万象に通じる事です。

生活の中で沸き起こる思いは流して、これでは生けないと「思い直す」習慣を一日の中で何度も持てば良いです。
そして、細かい心配をせずに「生かして頂いて 有難う御座います」とマントラの様に繰り返しながら作業をするのは非常に有効です。こうしていますと、悩み問題の解決法が考えてもいないのに浮かんで来る事が起こります。
人間の脳(=宇宙)は、思考により考えようとしなくても、もっと脳の奥深い領域において、必要な対策を無意識にするものです。執着して考えない方が、良い答えが「来る」のです。

苦しく成れば、自分のリキみを解いて「内在神に御任せ」の心境で進んで行けば良いです。それが自分にとっての最善の道と成ります。

人生には、「なるように成る」事を受け入れる勇気も必要です。

自分が出来る事を努力したならば、それで十分です。

裸で生まれて、裸で死んで「行く」のですから、慌てる必要はありません。

                                                                      引用ここまで

(伊勢泊参道)
posted by 伊勢白山道ファン at 18:13日記

人間がコノ世に生まれて来る大切な目的


年に2回のチャンスの日
2016-03-19 10:25:16 | 先祖供養について

(カレンダーの印の意味は、「無難にして行くこと」を参照)

3月20日は、春彼岸(はるひがん)の中日であり、太陽が真東から昇って真西に沈むという昼と夜の長さがほぼ同じになる「春分の日」でもあります。太陽が中立・中道に位置する記念日でもあります。

【 春彼岸 】 
3月17日:彼岸入り
3月20日:彼岸の中日(=春分の日)
3月23日:彼岸明け

霊的には、太陽が中道のゼロ・ポイントに入る為に特殊な重力バランスが働き、先祖に感謝をしますと自分の思いが通じやすい日と成ります。
コノ世の波動で妨害されやすい通信状態が、春分と秋分の日は緩和されて、思いが通じやすい日と実際に言えます。

だから、お墓参りに行けなくても、明日20日は通常の生活しながらでも「自分の希望」や「新たな誓い」を「思う」ことで、霊的に通じやすい通信状態の日だと言えます。
祈願するよりも、日常生活の中で淡々と思うことが、非常に強く未来に作用し形成します。

人間がコノ世に生まれて来る大切な目的に、
(1) 不自由なことを体験し、その中で真の自由を獲得すること。
(2) 思い通りに成らないことを体験し、それでも愛情や慈悲(情け心)を自分が得ること。

このような大切な目的が有ると感じます。


誰もが不自由なことは嫌だ、そこから逃げたい、思い通りに成りたい、と思うものです。
その為に人は悩んでいます。自分の自由の為に他人をも傷付けるかも知れません。


でも、違うのです。自分の本心(真我)は、そこから逃げること・解放されることを望んでいるのでは無くて、
* 不自由な中での真の自由を獲得して欲しい。
と望んでいると感じます。


誰もが逆のことをして、悩んでいるのです。
自分の本心は、「それを」「その状況を」望んでおり、その中で自分自身を調和させることを希望しています。

だから、これに気付いて、
* 良い意味であきらめて。
* 自分が逃げない覚悟をし始めた時。
実際に自分の環境が初めて変わり始めます。


逃げたいとばかりに外側に向く視点を持って悩んでいます。そうでは無くて今の中に、内向きに、視点を持った時に、真の自由へのトビラを叩き始めることに成ります。

今日から明日に向けての「思い」を大切にして見ましょう。
思う内容で最善であり、最強に影響する思いは、これです。

生かしていただいてありがとうございます。

(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 18:11日記

何もしないままの人よりも、失敗も経験が出来る人のほうが勝利者

何もしないままの人よりも、失敗も経験が出来る人のほうが勝利者
2016-03-11 11:19:07 | Weblog

無職の人が仕事の面接に行こうとしましても、
「自分には向かないかも」
と思って途中で止めてしまうことがあります。

異性とお見合いをしましても、自分は良く思っても相手が何も言って来ないからと、色んな思いを交錯させながら自分もそのままにする人もいます。

結局は何もしないまま、じっとしている。
これが継続しますと、自己逃避の責任逃れのサガ(根性)は、親や環境の責任にして本当の自分を誤魔化します。
このような世代が増えていると思います。

自分が親や他人に対して腹が立つならば、
* それは自分自身の弱さに対して、自分の本性が怒っていることが有る。
ということもあります。


何をしてもダメな時は、今までの自分がして来たことに対して、
* 本当の自分が、今の情けない自分に復讐している。
* 先祖と内在神が、自分のために悪因果を溜めないように昇華させている。
こういう霊的な側面もあり得ます。


良寛さんならば、自分に何か悪いことが起こりますと、
* 悪い時は、悪い事を体験するのが最善だ。
* 自分が悪いことに遭いますと、「ああ。自分はこれで助かった」と思う人でした。
因果の視点でも、どんな交換条件が昇華されたのかは未知だということです。


病気に成れば、寝ていたその御蔭で別の災難に遭わずに済んだのかも知れません。
病気で治療をした御蔭で、知らずに次の大きな病気も併せて治していたのかも知れません。


本当に、自分に起こることに悪い事は有るのか?
という疑問を持つことも参考にしてください。

どんなことも、すべてが「自分の最善の為に」起こっているのが、霊的な真相として言えます。

もう迷わずに、挑戦することを躊躇(ちゅうちょ)せずに、自分の良心(両親)が同意することに対しては、

* 挑戦して失敗しましても、「ダメだという体験をしてやろう」。
* いったい、小さい自分は「何を守ろうとしているのか?」。それは本当に自分が守るべきモノなのか?を冷静に考えること。

* 何もしないままよりは、失敗を体験することのほうが人生の勝利者です。
* コノ世での結果は、すべてが死の前では捨てることになり、自分がした経験こそが、失敗も含めて大きな貯金に成ります。


私が好きな吉本新喜劇のコントに、
玄関に訪ねて来た人:コンコンと扉を叩き、
「ゴメンクサイ。誰かおりませんか~?」
家中の人:「誰もいませんよ~」と出ないで中から返事をする。
玄関前の人:「はい、そうでっか。ほな、さいならー」と言い立ち去ろうとする。
家中の人が慌てて外に出て来て、「おい。待てやー!」
となり面会することに成る。

これは、なかなか深いのです。
素直に「淡々と」挑戦し、ダメならば、「そうですか~」と素直に次に挑戦する。
中に居る人から声で拒絶されても、ああだ、こうだと反芻(はんすう)して考えない。自己嫌悪に成らない。さっさと次に行く。
この繰り返しは、その内に必ず「おい、待てや~」と受け入れてくれる人も出ます。


何もしないままよりも、ダメでもともとで挑戦して見ることが大切です。
いつか必ず死ぬ自分が、コノ世で守るべき物など何も無いのが真相です。
自分が守るべきは良心(内在神)と、経験をすることなのです。
色々な結果は、コノ世で死ぬ時に消える物に過ぎません。

今日を頑張って生き切りましょう。

(伊勢白山道)
posted by 伊勢白山道ファン at 18:08日記